さまざまな競技(スポーツ)を対象としたギャンブルが、古代から行われてきました。
古代ギリシアのコリント、デルフォイ、ネメアやオリンポスで行われていた競走、幅跳び、槍投げ、円盤投げといった原始的陸上競技の大会優勝者に賞金を支払うということ、そしてローマ帝国における剣闘士(グラディエーター)同士の戦い、また剣闘士と獣の戦い、戦闘馬車による競走の勝敗に賭けていたことが、その起源と言われています。
ダイスを用いたギャンブル同様、王侯貴族の娯楽として興じられていたようです。
古代ローマの博物学者兼政治家の大プリニウスは”賭けることは人生だ”と語り、彼の著した『博物誌』によって歴代ローマ皇帝のギャンブル好きは広大な領土の隅々にまで知れ渡っていました。
そのギャンブル狂たる気質が各地へ伝播し、さまざまな競技(遊び)を対象としたギャンブルが文化として定着・発展していきます。
中世イタリアでは、ボッチェ(booce)という土の上で行う現在のボーリングに似た競技が、ドイツでは輪投げ(誕生当時は馬の蹄鉄を使用)が賭けの対象として流行しました。
また、現在のサッカーの原型とされる、人間の頭蓋骨を蹴って運ぶ”スカルボール”も賭けの対象だったようです。
さらには”どれだけ歩けるのか”といった肉体の強さのみに注目した無骨なギャンブルも生まれ、1789年にはアイルランドの男性が1年未満でコンスタンティノープル(現イスタンブール)に到着し、20,000ポンドの賞金を得たとの記録も残っています。
その後19世紀にはイギリスでスポーツのプロ化が進み、賭けの対象も次第に移行していきます。
また同時期(18世紀後半以降)はブックメーカー(政府公認の賭け屋)の業界も整備が進み、欧米(特にヨーロッパ、中でもイギリス)を中心にスポーツギャンブルは発展を続けています。