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ギャンブルの歴史|世界の賭博の起源

ギャンブルは占いから派生したというのが定説で、その起源は人類が文明を築き始めたころにさかのぼります。

当時の占いに使用されていた動物の骨や石、木片などが原始的なダイス(サイコロ)として転用されるようになり、投げて出た面に合わせて結果を決めるといった、簡単なギャンブルが最初に誕生しました。

人類史上初めてギャンブルが行われた地域は定かではありません。しかし、世界中の洞窟壁画、遺跡の出土品、文献などでギャンブルに興じる神々や人々の描写がなされていることから、むしろ各地の文明にて同時多発的に生まれたとも考えられています。

古代エジプトの墳墓からは神々がダイスを振ってギャンブルをしている様子が描かれた陶器が出土し、中国では司馬遷の「司馬記」にギャンブル狂いの諸侯の話が出てきます。

日本では「日本書紀」に天武天皇の賭博に関する話が書かれています。

ギリシャ、そしてその後地中海沿岸を統治するローマ帝国にも同様にギャンブルに関して記された文献が残されており、その数は挙げればキリがありません。

古代インドの叙事詩Mahabharata(マハーバーラタ)にはギャンブルで身を滅ぼした男の物語が記され、同地域の4世紀頃の書物である実利論Arthashastra(アルタ・シャースートラ)にはギャンブルから税を徴収してコントロールすべきといった、現代国家が実践している賭博管理システムについての記述がすでに記されています。

サルが、住み慣れた森を離れて大地へ降り立ちヒトとしての暮らしを始めた。

太刀打ちできない外敵が潜んでいるかもしれない。何が起こるかわからない。

その挑戦を端に今日まで進化を成し遂げたこと自体が”賭け続けた結果”とも言えますから、ヒトの歴史そのものがギャンブル、なのかもしれません。

スポーツ賭博の歴史(イギリスのブックメーカーについて)

今日の世界において、スポーツ賭博が文化として成熟しているのは欧米です。

特にヨーロッパ、その中でもイギリスには数多くのブックメーカー(Bookmaker)と呼ばれる政府公認の賭け屋があり、ます。

ちぢめてブッキー(Bookie)と呼んだり、ターフアカウンタント(Turf accountant)とも呼ばれる彼らの原型は、競馬を対象とした賭け屋として18世紀に誕生しました。

正確には、1795年にイギリスロンドンの北東部、サフォーク州にあるニューマーケット競馬場でハリー・オグデン(Harry Ogden)という人が始めたと記録に残っています。

開業当初は競馬文化にそぐわないという理由で反対の声もあったようですが、まねをする人が増え、50年経った頃には同様の賭けを請け負う業者が200を超えていました。

しかし1845年には競馬を対象としたギャンブルを禁止する法律がイギリス議会を通過します。

これによって粛清が期待されましたが、賭けることは人間の本能的行為。

歴史上、ギャンブルが規制で止められた試しはありません。違法ながらもブックメーカーは運営を続け、最盛期には店舗が15,000以上に増えていました。

結局、1960年には政府発行のライセンスを取得しなければ運営できないとする許認可制へ禁止から大きく方向転換し、今日に至ります。

現在イギリスではLadbrokes(1886年創業)やWilliamHill(1934年創業)といった違法時代からも運営を続ける老舗ブックメーカーが街に店舗を構え、スポーツベッティングの機会を提供しています。

彼らはもちろんライセンスを取得しており、さらにロンドン証券取引所にも上場するような一流の企業へと成長しました。

また、1974年創業のbet365もイギリス発のブックメーカーとしては世界的に有名で、上場こそしていませんが、国内の非上場企業の中では上位10社に入るほど巨大です。かつて競馬場でレースと共に楽しまれた賭けは、いまでは1つの巨大産業へと変貌しています。

スポーツ賭博の起源と歴史

さまざまな競技(スポーツ)を対象としたギャンブルが、古代から行われてきました。

古代ギリシアのコリント、デルフォイ、ネメアやオリンポスで行われていた競走、幅跳び、槍投げ、円盤投げといった原始的陸上競技の大会優勝者に賞金を支払うということ、そしてローマ帝国における剣闘士(グラディエーター)同士の戦い、また剣闘士と獣の戦い、戦闘馬車による競走の勝敗に賭けていたことが、その起源と言われています。

ダイスを用いたギャンブル同様、王侯貴族の娯楽として興じられていたようです。

古代ローマの博物学者兼政治家の大プリニウスは”賭けることは人生だ”と語り、彼の著した『博物誌』によって歴代ローマ皇帝のギャンブル好きは広大な領土の隅々にまで知れ渡っていました。

そのギャンブル狂たる気質が各地へ伝播し、さまざまな競技(遊び)を対象としたギャンブルが文化として定着・発展していきます。

中世イタリアでは、ボッチェ(booce)という土の上で行う現在のボーリングに似た競技が、ドイツでは輪投げ(誕生当時は馬の蹄鉄を使用)が賭けの対象として流行しました。

また、現在のサッカーの原型とされる、人間の頭蓋骨を蹴って運ぶ”スカルボール”も賭けの対象だったようです。

さらには”どれだけ歩けるのか”といった肉体の強さのみに注目した無骨なギャンブルも生まれ、1789年にはアイルランドの男性が1年未満でコンスタンティノープル(現イスタンブール)に到着し、20,000ポンドの賞金を得たとの記録も残っています。

その後19世紀にはイギリスでスポーツのプロ化が進み、賭けの対象も次第に移行していきます。

また同時期(18世紀後半以降)はブックメーカー(政府公認の賭け屋)の業界も整備が進み、欧米(特にヨーロッパ、中でもイギリス)を中心にスポーツギャンブルは発展を続けています。

ダイス(サイコロ)の歴史|世界最初の賭博道具

人類が始めてギャンブルに用いた道具はダイス(サイコロ)だったようです。

ギャンブルはモノを投げて吉凶を占うという行為から派生したため、投げて使う占いの道具がギャンブルに転用されるのは自然な流れだったのでしょう。

世界各地の遺跡から様々な形のダイスが出土しており、それらを用いてゲームに興じる神々を描いた洞窟壁画、器なども多数発見されています。

最初期のダイスは現在のような正六面体ではなく、木の実などを着色して出目をわかるようにした簡単なものでした。

これらと共に、動物の骨を用いたもの、石でできたものなども出土していることから、各地でさまざまな形のダイスが使われていたようです。

アストラガルと呼ばれる、羊や牛の後ろ足のくるぶしの骨(距骨:きょこつ)を用いたいびつな4面のダイスは各地の遺跡、特に地中海沿岸部の壁画や、またエジプトの王の副葬品としても見つかっており、これが現在のダイスの起源とする説もあります。

六面体のダイスは紀元3000年頃のインド、中東地域から出土しており、さらに1の裏が6、2の裏が5、3の裏が4で両面足して7になるものは紀元1400年頃の遺跡からも見つかっています。

古代文明において、”出目”は予測不能で神の意志が宿ると考えられており、王侯貴族は占いにも、そして遊戯にもとにかくダイスを使っていました。

ローマ帝国の歴代の皇帝たちは皆揃ってダイスによるギャンブルに心酔し、第4代皇帝のクラウディウスは攻略法をまとめた書籍を作ったとも言われています。

今日のカジノで人気のクラップス(2つのダイスを用いたギャンブル)も歴史は古く、その原型は12世紀にエルサレム奪還を目指してアラビアへ遠征した十字軍の遊びに遡ります。

彼らがイスラム諸国で興じられていたダイス遊びをヨーロッパへ持ち帰ったことが起源と言われ、イギリスで流行ったのちにアメリカへ持ち込まれ、ルールが整備されて現在の形となりました。

ちなみにこのゲームで特別なアタリ目とされる7と11は、日本でも有名なとあるコンビニの名前の由来です。

アメリカのサウスランド社が世界ではじめてコンビニを設立し、店名をセブン・イレブンとしたのは縁起かつぎとしてクラップスのアタリ目を拝借したと”言われています”。「7時から11時まで営業」というのが”当たり障りのない定説”となっていますが、どちらが本当なのでしょうね。

この例に留まらず、ダイスを用いたギャンブル、ダイスから派生した文化は現在でも日常に溢れています。